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気分が上がらない時がある。
しもやけが出来た。
しもやけの思い出がある。
結婚していた頃、元夫の祖父が建てた家に住んでいた時期があった。
その家は平屋建ての50坪くらいの大きな古い屋敷だったので、
とにかく寒かった。
築50年を超えた木造の家は、隙間風も吹いていた気がする。
寝る時も出ている顔が、つめたーくなって、布団から何も出せなかった。
そんな家で住んでた頃に、足の指がしもやけになってしまって、
そのことを義母が来た時に何の意図もなく話したら、
しもやけは血行障害だから。
と、ひとこと、言われてしまった💧
要するに、この家が寒いとクレームを言われたと勘違いした義母が、
しもやけはこの家が寒いからじゃなくて、あなたの体質のせいよ。
と言いたかったのだろうけど、
当時の私はちょっとびっくりして、その時の記憶がいまだにあり、
その時のことを、今もしもやけが出来る度に思い出す。
義母さんには本当に良くしてもらったけれど、
私のことはそんなには好きではないんだろうなってその時思った。
身内でも、友達でも、職場の人でも、
人生で間違いなく、本当に大好きだなって思える人は、とても少ない。
逆に、本当に大好きだなって思ってもらえることも、そうそう無い。
本当の親子でさえ、あまり好きでないって場合はあると思う。
好き、もそうだけど、
幸せ、もそう。
私にとっては、子育てが出来たこと、子供の存在だ。
私の人生の、唯一の幸せだ。
じゃぁこれまでの人生で、この先の人生で、本当に幸せはそれしかなかったのか?
と言われたら、きっと沢山の小さな幸せのかけらが山のように日々散りばめられた人生だったと思う。
普通に幸せに沢山、触れて生きてきたはず。それは絶対そうだ。
なのに、幸せを感じる感度が低いので、何も認識出来ずに生きてきたのだと思う。
残念な生き方だと思う。
16歳の時、N君を好きになった。
初めての、本当の、恋。
それまでの恋とは全然違う、初めて人を本気に好きになるという経験だった。
恋をして、胸がズキーンと痛くなり、その痛みが手首まで降りてきた。
この話を人にしてもいまいち信じてもらえないけれど、本当に腕まで痛かった。
その恋以来、私には恋人が数人出来たけど、誰にも本気になれず、
25歳でプロポーズしてくれた人と何となく結婚した。
16歳で出会った時、
きっとこの先、この人生でこれ以上に誰かを好きになることはないって思ったことが、
現実になったと25歳の私は思った。
のちに、子供を産み、息子を見て、16歳の時と同じ場所がズキーンと痛くなって、母乳が出た時に、
あぁ、16歳の彼を好きになった時、私の心の大事な部分を使って好きになったんだなと思った。
もしかしたら、他人には使っちゃいけないい心の中心の大事な場所を使って恋をしてしまったから、
普通の軽い恋愛ができなかったんだな私は。
と思った。
そう思ったら、16歳の時の彼のことは、私の中で昇華されて、もう思い出すことも無くなったけど、
恋愛での幸せ感度もそこで、鈍ってしまったと思う。
最初に、最大級の恋愛をしてしまったから。
幸せって何だろう。
好きって何だろうって思う。
本能にブッ刺さったものばかりでなく、
何気ない日常に小さな好きや幸せをいつも感じられるのが一番だと思う。
この先の人生は目の前の幸せを小さな幸せをいつも感じられる毎日がいい。




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